増税前の様子見なのだろうけど、今月来月全然予約が入って来ず売上やばし。業界どこもそうかな。食料とか日用品とかにまず財源確保して娯楽は二の次だろうね。私はわりとみみっちく売上に固執するタイプなのですが(100円でも高く!というやつ)、今の職場ではノルマも全く与えられてないんでわりと気楽に構えてます。本当に、たぶん社長がそうだからだと思うけど、お金の流れに無頓着なひとたちばかりだから、私もしょうがなくそれに流されている。しかしね、サッポロの時も思っていたことだけど、売上=給料という明白な等式がそもそも頭に浮かばないサラリーマンって、なんなの?ばかなの?売上上げる努力しないで、ボーナスの額が云々とか、ばかなの?しぬの?っていっつも思います。歩合にしようぜ、って言いたくなります。ということで、増税後に混乱が起きないようなら、オフ期の安い時期に、皆さまハコダテにお金使いに来てください。私(たち)の給料分、お願いします。


最近、“ストレス” という単語がきらいです。自分からは発したくない。というのも、溢れまくっている言葉で、現象でもあるわけだから、そんな過敏になる必要もないんだろうけど、私も決していいひとではないから、私の存在が誰かのストレスになっていることもあると思うので。たまたまなのかもだけど、私にとって“ストレス”なひとたちがよく会話で「最近疲れとれなくて…ストレスかもしれない…」とか、「●●さんの話聞いてたらストレス溜まるよね」とか言ってくるので、それに私は乾いた笑いで対応しながら、「えっ!私にとってはあなたがストレスだよ!」と胸中で叫んでいるわけですよ。だから、よく言えるなあ、と思って。大雑把に言えば、ブサイクが他人のことを「あいつブサイクだよねー」って言ってるのと同義だもん。だよね?!私自身たぶんブサイク範疇ではないけど容姿では加点されないのは自覚してるから、そんな状態でひとのこと無闇にブサイク呼ばわりはできないですよ。
こないだ病院で医者に(症状の原因について)「強いストレス感じたりしてない?」って聞かれたときも、はい、とは言えなかった。ストレス感じてない人間なんているの?そんな、病気の原因になったりする特別なものなのかな?
なんかもう、生きにくさってのが、ストレスフル社会ってのが私ん中ではスタンダードな感じ。脱するのなんて奇跡に近いよ。そうか、だからわざわざ、ストレスっつう空気みたいなものに言及してくるひとがきらいなのか、私。いちいちうるせえんだよ黙れよ、ってことか。


そろそろ自転車、と思ってたけど、明日の夜また雪だって。ひー。もういいよ、もううんざりなんだよ!はやく桜見たいです。


あーRSR行きたい。行きたい行きたい行きたいよー。


plentyちゃんのグローブ座の動画観ました?観てないなんてもったいない。江沼くんの鉄の声帯にびっくり。惚れました。そしてやっぱりどれも名曲。ほんと曲がいい。はやくドラマー見つけて、かっこいいバンドになれるといいね。

出入りの業者のひとりが私のことを気に入っているそうだ、という話を聞いて、まず最初に頭に浮かんだのは勿論「え、誰?」という単純な疑問なのだけど、同時に「なんて羨ましい!」と思いました。というのは、津村記久子が、経験に基づいた会社員小説を書かせたらそのリアリティで右に出る者はいない(はず)津村記久子が、会社そのものではなくて、通勤途中に素敵なお店がある、とか、昼休みに使うコンビニの店員が感じが良い、とか、付随するなんらかのところで癒しを見つけるべきだ、とある本の中で説いていた(この話はまたいつか)ことを思い出したから。
業務ど真ん中ではなくて、その円周上に、つまり配達先にときめきがあるということは、結構もうそれだけで仕事頑張っていけるんじゃないか、と思う。職場そのものでなくて、出先ってとこがまた完璧じゃないですか。そうゆうの、私はもう4,5年ご無沙汰なので、恋のときめきとかに限らず(まず職場の異性は大体おじさんで、ハゲてたりオカマだったり童貞だったりDVチックだったりととても酷いメンツ)、従食が美味しいということもなく(むしろ社員の半分以上が食べるのを拒否するほどまずい。カレーさえ何故かまずい)、まったくもって息抜きになるものがなく、そりゃあ羨ましがっちゃうよね、っていう話ですよ。
ちなみに、件のそのひとが誰なのかは判明せず、というのもそれを私に教えてきたおばちゃんが、日本語なのに話が半分しか通じないとんちんかんなひとなせいもあって(最初「多分あなたの決して嫌いなタイプではないわよ!」と言うので、そんな目に止まるひといたっけ…?と唸ってたら、数時間後に「期待させてたら悪いけど、全然好みじゃないと思う…」と言い出したり、私が「えー、配達来るのっておじさんしかいないですよね?」と言ったら最初「まだおじさんって年じゃないわよ!」と言ってたのに、また何時間後に「もうあのひと、結構いい年だと思うわ〜」とか笑い出す有り様です。これが通常業務でもこうなので、もう殺意しかない、殺意しか)、もう私もピンと来ないということは、謎は謎のままにしておいた方がいいんでしょうね、ということで強請終了させたんですけど、

けど、
まあ、私はこうゆうので、周囲から攻めていく方法が好きではないので、客観的には羨ましがってみたりしてるけど、主観的にははっきり言って、ちょっと気持ちが悪いです。直接いこうよ、直接さあ…いい年して、人に頼るのはだめ。つうか、あのおばちゃんに最初に行った時点でもうアウト。人選ミスすぎ。

…諸々、私、潮時かなあと思ってます。



3.11は、仙台の友達に必ずメールをすることにしている。忘れてないよ、あなたの笑顔をずっと祈ってるよ、と。私には、今のところこれで精一杯。大事な数人の幸せのことで手一杯。でももうひとつ、必ずACIDMANを聴く。一人でも多くの魂を救うべく、福島へ通う伸夫のうたう歌。今年の福島ライブは、なんと一曲目が「式日」だったと聞いて、もうその事実だけで涙が出そうだった。多くの命が失われた、哀しみを呼び起こす日だけれど、誰かにとっては誕生日だったり、祝うべき記念日だったりするうこと、そういう喜びの気持ちを隠さなくてもいいこと、3月という春の日を、春のきらめきを、大陽の眩しさを、祝福する歌で、伝えようとしているんだと思った。
繋いでいく、今日の日を。
歌のちから、言葉のちからは、途方もない。だから救われるひともいるし、傷つけられるひともいる。いつもその二面性を思う。


うちのような弱小有限会社にベースアップは無縁だし、この薄給で消費税上がったら、もう恐怖だなあ、と思う。心から。増税前にお買い物っ!とか言ってる場合じゃないです、貯金です、節約です。本当に必要かどうか、の見極め。あーあ、消費だけの問題じゃないのにね。


ついつい買ってしまう物の中に、シュシュがあります。
さほど服には興味がなく、アクセサリーにもこだわりがないので、靴100足くらい持ってます、とか、●●の新作バッグぜったい買います、とかオサレハンターの購買欲に全然同調できないなあとか思ってたんだけど、並べたシュシュ(&ヘアゴム)見下ろして「意外に私も…」と声を失っている最中。
しかし仕事場兼用なので黒と紺多いね。飽きて買い足すたびに、それでもベージュとか青とか、華やかさを拒否する傾向にあるよね。春になったら、今度こそパステルカラー買います。それか花柄!
(ていつも思いはよぎるんだけど、シュシュったって似合う/似合わないはあるからね…)


伊勢参りでいちばん影響受けたのって、ちょっと大きな声では言えないのですが、やっぱり、富士山なのであるよ、と思い返す日々です。世界遺産の盛り上がりで、キュートな物品が世の中に爆増してて、富士山ポチ袋とか、富士山シールとか、富士山がまぐちとか、もうまとめてどどーんと大人買いしたくなる。あの神の山を、もうすこし近くで肉眼で拝みたいという気持ちが止められないので、今年の目標のひとつに、富士山参拝旅行を加えた。ひそかに。登らない、いきなり土足で踏み荒らす心構えはないので。
とゆうことで、スマホの待受も今富士山。同僚ちゃんに「おばあちゃんか」と突っ込まれたけど。
http://www.ikyu.com/sd/ap/srch/UsdW11601.aspx?aid=00001714
↑宝くじ当たったら、ここ泊まります。ぜったい。


himawari、試してみた。すごーく好きだ。ゴロウちゃんのオイルシャンプーがあんまり合わなかったので、このブームには乗っかるまい、と思ってたんだけど、泡立ち◎、潤い◎!ただ、35歳からの…とあって、え?オノマチだってまだ35じゃないよね?と首をかしげてるんだけど、エイジングケアに早すぎるということはないのかな、みたいな。確かに、植物の種のにおいはするので、香りは好き嫌い分かれそうですけど。

正しい私、を、閉じ込めないことにする。(私の中では)おまけの人生だし、それなら我慢はしないのだ。

ポースケ

ポースケ

佳枝自身の話で言うと、災害に逢ってないし爆弾を落とされているわけでもないけれども、近くにいる人間の精神的な餌食にされる。佳枝は、スマートフォンタブレット端末をみんなが使っていることを、すごく未来ぽいと感じながら、だったらいつ人は、誰かを補食しなくても生きていけるところまで完成するのだろうともどかしく思い、それが高じて混乱する。

頭が邪魔だと思う。人間はどうして、今起こっていないことに苦しんだりするんだろうか。

えらい人は先々のことを見据えてどうのこうの考えられて、八喜三憂とかに調整できるのかもしれないけれども、我々しもじもの者は、一つ一つ通過して、傷付いて、片付けていくしかないのだ。そうする以外できないのだ。


『ポトスライムの舟』の数年後の話で、ナガセの友人ヨシカの経営するカフェが舞台。幼稚園に通ってた恵奈ちゃんが小学五年生になっています。
ポトスライム〜は図書館単行本ののち、文庫落ちしてから購入したぐらいに好きな作品なんで、思い入れあるし、あとは津村作品はいつもそうだけど、自分の現在の境遇と重ね合わせすぎて、懐かしんで切なくなったり、適度なユーモアに声だして笑ったりとか、たった一文で滝の涙流したりとか、いろいろ忙しく読みました。終わってほしくないこの世界。出来ましたら、また是非続編を!

ヨシカは店主で、恵奈は小学生だけど、前作主人公のナガセ(今回影薄めです)はじめ、ピアノ教室の先生・冬美さん、ひどい肌荒れに悩む営業事務ののぞみ、元彼の干渉に心を乱される土質試験の会社で働くゆきえ、ヨシカの店のぱーとタイマーのとき子さん、竹井さんなど、様々な環境で働く女性がたくさん登場して、ただ働いて、ただ平穏に生きていくことが、どれほど大変か、どれほど女達には敵となる、害となるものが世の中にあふれているのかを教えてくれています。人によって、「私よりはマシじゃん」と羨むか、「あー私、この会社よりかは恵まれてるわー」と胸を撫で下ろすかはまちまちだろうし、そこから、前を向くか、ショックを引きずるかもまちまちだろうけど、いつも津村さんは、祈りながら書いてくれているんだと思う、働く人たちがみんな(きっと性別関係なく)、変に心を破壊されることなく生きていける世の中であることを。
…じゃあ私が何を思い、どう進もうとしているのかは、まだ問題が大きくて“準備中”て感じなのですが、ちょっとゆきえの処世術てゆうか、自分の律し方は参考にしたいと思った。ゆきえ本人に“律する”みたいな毅然とした構えはなかったかもしれないけど。ふさぎこんだり、ズーンと落ち込んで固まっているよりも、叫んだり奇声あげてみたり腕を振り回してみたり、怒りの方へエネルギーを移していった方が、悩み事ははやく吹き飛んでゆくのかもしれないな、と。吹き飛んだりはしないほどに根が深くても、どうでもいいやの部類に放っておける。こうゆうのは性格出るので、なかなか、うじうじ型の私には難しいと思うけども、でもゆきえさんの態度は、見てて(読んでて)気持ち良かったので。ぼんちゃんと仲良くね、ゆきえ!

そういえば、母でも妻でもなく、その属性にいまだ全く縁のない私でも、就活地獄でふさぎこむ娘を案じるとき子さんの心中を慮ったときが、いちばん泣いたな。年齢的なものか。こわいな年とるって。そうゆうシフトがスムーズに行われてしまうのか…こわいな…

いつの間にか2月だ。ということは、もう軽々1週間経ってしまってるのにも関わらず、あれやこれやの経験を未消化のまんまで過ごしていて悶々がまだ続きそうなため、一旦区切りとして、記録するんだぜ、なお伊勢参り

人だかり、どこへ行っても。1億人はいたと思う。お参りの時は流れ作業にならないように、集中した。神様に向き合ってるんだけど、本当はそうじゃなくて、自分に向き合う時間であって、あんな大勢の他人に囲まれた中でも、しーん、と平静な空気を感じることが出来るという不思議。信ずる神は伸夫だけ(冗談抜きです)だったはずだけど、いるなあ、と思った。このぴっかぴかな木のいい香りのする神社には、確実に大きい、大きすぎる神様が。

時間がなくて、というわけではなくて、体力的なもので限界が見えて(常にあれだけの人波の中で歩いていたら、それだけでもう、ね)、外宮・内宮・おはらい町通りだけの移動で終えてしまったから勿体無かった気がするけど、私は“風日祈宮”がとても好きだった。ここは団体さんたちのコースから外れていたからなのか比較的空いていて、清涼感が漂っていて。穴場かもです。

そうゆうわけで、悲願の赤福本店も正味10分ぐらいしか居られなかったけど、あの時あの場所で食べた赤福の柔らかさを一生涯忘れずに生きていこうと思う、と大袈裟な感涙を流すぐらいに美味しかった…ああまた食べたい…次の遷宮まで待てません……(今しがたうまいもの市で買ってきた赤福を食べながら、物足りなさに遠い目をしている私)

名古屋に来たらコメダでしょ!はずせないでしょ!予想通りの味だったけど、満足しました。珈琲自体好きな味。

名古屋、じゃなかった、三重の街は、どこもかしこも瓦屋根で、映画のセットのようだった。え、これ、ガチ?と戸惑うほどに、珍しい眺め。北海道には、ほとんどありません。ほんと、まったく、と言ってもいいほど。雪も1mmもなかったのもあるし、私は本当に遠くへ来た、と思った。しみじみするくらいに、1月の、厳冬の季節の日本だとは信じられないほど。
それで、その珍しさが当初は、歩きやすい!ヒートテックいらないし!自転車乗れるなんてラッキー!と快適さに変わってたりもしたんですが、帰りの飛行機の中から、真っ白な街並を見下ろした時に、多分南東北とかに差し掛かったあたりからきれいに整備された市街地が真っ白に変わってきた時に、もう自分でもびっくりするんだけど、涙ぼろっぼろ出てきて、「雪のあるところに帰りたくないなんて一瞬でも思った私のばかっ!」と上空3000m強の機内で猛烈な懺悔をして、ふるさと愛に改めて気づいたりもしまして、これが今回の旅のハイライト。伊勢で信心深くなったせいか(あ、実は、絵のような富士山を飛行機から見れたからってのもある、というかでかい、これ。なあにあの山!あれこそ神様じゃねえか!)妙に涙もろくなってて、ぜったい冬は雪!だってきれいだもん!!寒いし滑るし埋まるけど、その苦労も忘れちゃうぐらいの、ぐらいの、…えーと。いい旅だった。
大きすぎる神様に触れて、矮小な自分に気づかされて腑抜けになっているのは、また別な話。

with_isotope2014-01-18

2014年でいまんとこいちばん嬉しかったことは、アシの投票制ライブ“アンソロジー” が決定したことなのだけど、なんとも鬼対応で、投票できるのは一人一曲、ゆえ、未だ悩みの渦中にいます。
元々戦友バクホンの企画で同じようなのがあって、俺らもやりたいと言ってたらしいんだけど、実際に決行するまでが短期間過ぎて、びっくりしたのも事実。独立したら、やっぱりやりたいこともすぐにやれちゃうのだねえ。感動。
SAPPOROは土曜日なので、オン期の土曜日なので、架空の法事か結婚式をでっちあげますけど、その前にチケットね!当選してますよーに!いやその前に投票!!
3、4曲ぐらい絞ってる。問答無用ですきなあの曲か、もう今後ライブで聴く日などないかもしれないけど美しすぎるあの曲か、…もう、マニアック性云々じゃなくて、こうなったら数年愛を存分に注いできたあの曲を推すべきなのかな。あー。

あ、で、そうそう、にばん目ぐらいに嬉しかったことが、tomboloのパンとの出会い。本日。……むっちゃくちゃ美味しいんですけど。こんなに美味しいか?つうか、人間は、パンを、こんなに美味しいと思うものか?と、考え込むほどに。入りにくい店だったから勇気出して良かったー。給料出たらまた買いに行きます。あのね、ちょっとお高いの。
あまりひとに教えたくないけど、もうきっとすごく有名だよね…
http://tombolo.jpn.org/

来週に迫ったので本腰入れて伊勢準備します。もう、なにせアマテラスオオミカミなので、変に緊張が…笑。いちばんの緊張ポイントは、服装。失礼のない服装って、なんだ?ワンピースでいいのか?柄スキニーは動きやすいけどやっぱちゃらすぎるか?歩きやすさ重視のムートンはカジュアル過ぎる?ネイルは?とかとか。まあアマテラスオオミカミも私の服装など気にも留めないであろうが。そもそも私の神様は伸夫だけ。

「”ご“両親に感謝したい」、との新成人のコメントがニュースで流れたのである。私は「!」と化粧をしていた手を一瞬止め、「そうそう、ハタチったってまだ子供なのよ、こんなもんなのよ…」と一瞬びっくりするもすぐに納得をして眉を書きはじめたのだけど、新成人おめでとうという趣旨で放送しているはずの番組なのに、このテレビ局は祝う気ゼロなんだなあ、と、メディアの“意図” というものに、なんか胸が黒々と塗りつぶされてゆくような嫌な気持ちに。
ついったー上でも、この“ご両親発言”について、敬語の誤用を嘆いたり、当人を馬鹿にしたりする感想よりも、あえてその発言を放送したメディア側へ違和感を持つ意見が多く見られて(あくまで私のTL上だけど) 、危うかった…私もメディアの罠に落ちるとこだった…と冷や汗かきました。
実は最近になって、もう今更なんだけど古市憲寿の“若者論”に触れておるので、気になってしょうがないんでしょうね、若者が。このニュースを見て、何の気なしに流れてきた映像だけ見てたら、「今時の若者はハタチにもなって、敬語も使いこなせないのか。こんなのが日本の未来を担っていくなんて不安でしょうがな
い…」ってなって、安易に若者バッシングの道が開けてしまうよねえ。たったひとりのボクちゃんの発言が、2014年の新成人の代表になっちゃうんだから、恐いったらもう。でも、若者定義はこうして作られていく、っていう典型中の典型の場面に出会えて、ちょっといい日だったかも。
…でもそれはそれとしてさ、やっぱりご両親はないよね、ないよ、うん。


とゆうわけでもう1月も半分過ぎようとしている中で、まだ今年の目標を明文化していないという。ね。
全体的に、とても怠惰な1年を過ごしてしまったので、要はもう、2014年は脱怠惰しかないわけです。
具体的にゴニョゴニョ書きませんが、主に仕事で、ぬるま湯職場で脳みそも常にぬるま湯モードだったという反省。上も下もまっっっったく尊敬・信頼できるひとがいない中で、自分だけは曲がらないで染まらないでいこうと、ずーっと守ってきたつもりではあるけれど、なんというか、やっぱり孤独な戦いって限界あるよね。自分だけの世界って、なかなか成長できないよね、ってことに今更ながら気がついているわけで、今年は身の振り方を、改めて、もう一度、考え直してみたいと思います、もう早い段階で。あれもこれもではなく、大事にしたいものたちの、優先順位を見定める。
それから、無難に、年末年始戦線で体力等々の低下に気づき始めたので、特に食べるものに気を遣おう、と。まずは根菜。葉物野菜は好きだからちゃんとモリモリ食べてるんだけど、体を冷やしがちらしいですし、根菜のが栄養価高いしね、という理由で。カフェイン(日に3杯ぐらい飲む珈琲)を止められない分、その他の摂取物のバランスを熟考していかねば。もう若くもないのだ。
守れなかった分、引き続き今年も、見て見ぬふりをしない(これはつまり、困っているひとを助けるとかいうよりも、内なる欲望を、って意味で)、言葉にしてしっかり気持ちを伝える(感謝とか、陽性のものは特に)、これを忘れないように…
そして、正しく。漠然としすぎているけれど、アシを聴き続けている身としては、とにかく、正しく、生きたいと、思うのです。