HAKODATEにあの代官山のDNAを引き継いだ蔦屋書店ができるというニュースは、この街には“書店”がないことを日々愁えていた私に、喜びよりも先に「なぜ?」「必要なのか?」という違和感を運んできた。わざわざ移住してくるぐらいだから私のHAKODATE愛は深いけれど、実際に市民として生活を始めてからは、手放しで素敵な街だと賞賛できるほどいいところばかりではないことを知ったから。場所的なものからくる気質なのか、少々見栄っ張りなところがあって、まず外見を取り繕って内実から目を背けがちで(今だったら新幹線的なね!)、新しいものに対しての耐性が低くて、イ●ンあたりの大型商業施設の参入を拒んできたこの街が、おしゃれ代表の文化発信地としての蔦屋をよく受け入れたものだ、というか、なぜ受け入れたいと思えたのだろうか、と、個人的に好きな書店ランキングの上位にランクインさせている蔦屋の登場だというのに、もやもやして、納得ができていなかった、
という背景を持つ私でしたが、寒空の中30分ぐらい彷徨って(最寄バス停10分て書いてたろうが!このサギめ!インターネットなんて信用できん!と悪態をつきながらのろのろ歩いていたわけですが、すみません、私が降りるバス停を間違っていただけです)、遠景の薄闇の中にぼんやりと箱型の光が浮かび上がってきたのが見えてきたときには、正直、おしゃれ空間ではあっても誰のことも受け入れますよ、と微笑んで歓迎してくれているようなあたたかさが感じられて、とてもほっとしたのでありました。

確かに書店なので膨大な本が陳列されているのだけれど、なんというか、ただの文字が連なった紙の塊ではなくて、何かに、何かひとつでも、興味を喚起させてくれる生き物のように見えてくる、この不思議。たとえば本自体にはなんの興味もなくて付き添いで訪れた無趣味なひとでも、手にとったら、好奇心を必ず刺激されるのではないかな。展開の仕方(面陳とか、カテゴライズとか)もきっといろいろ計算し尽くされているんだろうし。宇宙とか、哲学とか、そうゆうん大きいテーマでなくても、貯金の上手な仕方とか、重曹を使った掃除方法とか、必ずなにかしら、自分が好きになれるもの、知りたいと思えるもの、そういう発見ができる場所がつくられていたと思う。私は、もうもともと小説が好きだし、(前職業がそうだったので)文庫や雑誌の発売日をほとんど覚えているのでその日にその作品を求めて、つまり目的が最初っから決まった状態で書店に行くことが多いけれど、そうではない、目的を見つけにいくための書店という活用方法もあるのだなあ、と気がつくことができた、そうゆう収穫。
時期的にテーブルは受験を控えた中高生に占拠されていたし、清潔感がちょっと…という人も数人見受けられたけど、ピシッとした警備員が常駐していて、撮影禁止などのルールも守られていたし(最初このルールを知ったとき、「なんかお高くとまってないか?」とびっくりしたんだけど、あの空間にいたら、無闇に記念とかで撮りたい、という気持ちさえ沸いてこなかった。そんなことより、本に夢中だったし、そこにいる人たちも皆そうだったのだろう。あの場所でシャッター音があちらこちらから聞こえてきたらと思うと、ぞっとします)、概ね、気持ちよく長居させてもらえました。ついついスタバ(1年ぶりぐらいに飲んだ気がする…)でラテ飲んで、文庫とレターセット購入。
ただ、HAKODATE駅からも遠いし、新幹線の建設中の駅からも遠いし、バスも本数少ないし、そもそももうほとんど市内ではないし、ゆえにターゲットはもう観光客ではないのだろうな、というのはわかったのだけれど、そうなると…純粋に市のため?市民のため?でも、じゃあなぜに今、書店?と、当初のもやもやは消えつつも、新たな疑問にまたもやもやが増えそうなので、
コレ↓を図書館で予約してきました。疑問が消えて、すっきりして、「また行きたいなあ」と思えるようになるといいな。なんせアクセスの問題で「よし!行くぞ!」と気合いを入れないとたどり着けない場所なので、今のところは…“私の好きなHAKODATE”に、不可欠な要素ではない、というところも、ひとつの発見。

文化の樹を植える。 「函館蔦屋書店」という冒険

文化の樹を植える。 「函館蔦屋書店」という冒険

でも…、とても久しぶりにあんなにたくさんの新刊本に囲まれて、しゃがんだり、思いっきり背伸びしたり、行きつ戻りつしたりして、実際に手に触れて、とてもとても、豊かな気持ちになれたのでした。作家ごとの棚に、単行本も文庫も一緒に陳列されていて、見やすくて嬉しかった(SAPPOROでもあったんだけど、そうゆう書店…どこだったかなあ)し、あと、コスメショップの中にエテュセがあったんよ!マイナーでもないのに、この街ではほとんど置いてないエテュセ笑。おめでとう。
いろいろ書いてみたけど、この“冒険”が、真にHAKODATEのためになりますように。
そして、私も、この街のために何かができますように。いつも思っていることを、改めて。