月と雷

月と雷

「どうやら自分は女にもてるらしいと、東原智が気づいたのは小学生のころだった。」
という書き出しで始まる『月と雷』 。智は幼少期から母・直子に連れられて様々な土地の様々な男性の家を転々とし、それが原因か世に言う“まともな生活”が出来ず、もててももてても結婚にたどり着く前に女性たちにふられてしまう。
そんな智たち母子と一時期共に暮らした過去をもつ泰子もプロポーズされた恋人と“まともな生活”を送っていく未来に不安を抱え、自分はあの母子に人生を狂わされたのだろうか、と、縁の不思議についてを考え始めるようになる。

月と雷、っていうどうもイメージのわかないタイトルについては、他のブロガーさんの書評を見てみると、
・綺麗な月夜に雷が鳴るという不穏な空気が、自分の決めた(この場合は泰子の)未来への不安を表している
とか
・月も雷も自然に存在するもので、人間には手出しのできない運命を表している
とか、「ほー」と嘆息しちゃう推察がありましてね、私としては、月と雷っていう、ペアで存在することがありえない(滅多に起こらない)ふたつのものが、違和感しかないものが、違和感ありありのままでも同じ人生のある一定の舞台で一緒になってしまうこともある、っていう、それは結局智と泰子だとか、泰子と直子だとか、そういう関係性のことを言っているんかなあとも思ったんだけど…

結局、“今の人生は、自分で無意識に選びとったものなのか、他人の干渉で否応なしに決定されたものなのか”っていう問題ってのは、もう角田さんを読めばこの作品でなくとも頭痛するほどに考えさせられるものなのだけど、前者であっても後者であっても、救われるひともいるし、逆に救わないひともいるんだろう。ただ、一瞬一瞬で迷わないこと、自分を信じること、他者に対しても誠実であること。いつも気を引き締めて思うことは、一緒なのである。