クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ


「わたしたちの世界のすぐ隣には、無数の並行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている」

クォンタムという単語に生まれて初めて触れました、なド文系の私の理解力を容易く超える難解な記述に屈することなく読了。まずは東氏のリーダビリティに脱帽。要は、すんっごく面白かったということです。
立ち読みで、生まれているはずのない娘からメールが届くという場面(物語が動き出す場面です)に目が止まって、ああきっと時間旅行の話なのだな、と予想はついていたのですが、もうあまりにリアルに起こりうる事例として書かれていて、ファンタジックな色はほとんど無く、圧倒されました。
私たちが認識している「世界」の裏には無数の並行世界があって、「自分」以外の別の自分も無数に存在する。この想像は、ただの夢ではないらしい。世界間を実際に干渉しあえるのかどうかというところは、まだ研究途中のようなのだけど、それは禁断の呪術のような、決して開けてはいけない匣のような気がするし、この物語を読んで、ますますその思いが強くなった。
並行世界にワープした(させられた)主人公往人は、“元の世界では生まれなかった娘”と妻との穏やかな生活に安らぎを覚えて、「帰りたくない」と強く思う。ああしなければよかった、こうしたらよかった、そんな、後悔の数だけきっと、並行世界が存在するのだろうけれど、現実にその後悔が帳消しになる世界間移動が可能になってしまうって、恐ろしいことだと思いません?
実際に、有能な学者たちが、総質量が云々だとか、“もうひとつの世界”の存在を認めていたとしても、自分が生きられる人生は、一度きりで、選べる道はたったひとつだけ、これは確かなことだと思う。だからこその、たったひとつを、たったひとりの自分でもってして、逞しく揺るぎなく信じていかなきゃいけないんだよなあ、と思ったりしました。

※余談。この手のテーマとなるとどうしても伸夫様が浮かぶので、『SUSY』なんか時期的にドンピシャでちょっと自分でも選書の偶然にびっくりしたり。伸夫様、読んだかなあコレ。…つうかこの東さんというお方には、べつにSFに限らず小説をもっともっと書いて欲しいと思ったよ。文章がやっぱり綺麗で読みやすい!